イザヤも大胆に言っている、 「わたしは、わたしを求めない者たちに見いだされ、 わたしを尋ねない者に、自分を現した」。
では、わたしたちはなんと言おうか。義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰による義を得た。
主は言われる、 「あなたがわがしもべとなって、 ヤコブのもろもろの部族をおこし、 イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、 いとも軽い事である。 わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、 わが救を地の果にまでいたらせよう」と。
主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
「大いに呼ばわって声を惜しむな。 あなたの声をラッパのようにあげ、 わが民にそのとがを告げ、 ヤコブの家にその罪を告げ示せ。
彼は多くの国民を驚かす。 王たちは彼のゆえに口をつむぐ。 それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、 まだ聞かなかったことを悟るからだ。
悪しき者は追う人もないのに逃げる、 正しい人はししのように勇ましい。
わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。
しかし、義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった。
なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。